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2017年9月22日金曜日

高校野球の都道府県別勝率の推移3(北陸・甲信越編)

こんにちは。都道府県別勝率推移シリーズも三回目になりました。今日は北陸・甲信越のデータを見ていきます。

ちなみにもう一度データについて説明しますと、

データは、夏の大会が1県1代表になった1978年以降の成績を集計しました(集計対象には春の大会も含む)。そして、前後5年間(当年を合わせて合計11年間)の勝率の推移、言ってみれば勝率の移動平均のようなもの、をグラフにしてみました。
ということです。


このようになりました。1983年あたりだと、山梨の1強という感じですね。山梨は1981年まで初戦敗退を繰り返していたのですが、その後東海大甲府が躍進、1985年のベスト4をはじめとして、コンスタントに勝ち星を重ねていく時代でした。その後も二度のベスト4や市川のベスト8(1991年夏)もあり、一時不調期はありますが、ある程度の勝率を維持しています。

当初山梨の次に勝率が高かったのが福井。ここは福井商の活躍といっていい状況だったのですが、1992年夏の北陸のベスト8から始まり、1995年夏、1996年夏の連続ベスト4(敦賀気比、福井商)あたりで第一次黄金時代を迎えます。そして近年も敦賀気比の活躍(2013年春ベスト4、2014年夏ベスト4、2015年春優勝)もあり、現在第二次黄金時代といった感じ。しかし2015年夏以降は上位進出がなく、今後のダウンは避けられないところ。もう一段ロケット噴射が欲しいところですね。

そして、当初の石川も意外なほど低勝率。夏は1980年~1986年まで7年連続初戦敗退。その期間は春も計2勝のみと、石川県の野球ファンはストレスの溜まる時代でした。その流れを変えたのはやっぱり星稜、そして金沢でした。まず金沢。1987年夏に、夏としては8年ぶりの勝利を挙げると、1990年春には2勝。1994年春には、中野投手が江の川(現・石見智翠館)相手に完全試合。このときは次の試合で敗退しましたが、石川県の野球ファンの溜飲は大いに下げたはず。そして星稜は1991年夏にベスト4、翌1992年夏は松井選手の5敬遠で1勝に終わったものの、1995年には準優勝と、石川県の勝率を跳ね上げました。その後遊学館も台頭してきて、勝率は5割前後を維持しています。

1990年代にどん底を味わった新潟と富山。新潟の躍進は明らかに新潟明訓、日本文理の活躍でしょう。1994年夏の中越以降、2勝以上することがなかった新潟勢に風穴を開けたのが2006年春の日本文理と2007年夏の新潟明訓。その後2009年夏の日本文理の準優勝、2010年夏の新潟明訓ベスト8、2014年夏の日本文理ベスト4と、新潟の大躍進につなげました。一方富山は、1986年春に新湊がベスト4の成績を収めますが、1988年から1997年まで10年連続初戦敗退とまさにどん底。その黒星にストップをかけたのは、やはり頼りになる富山商でした。そして富山商はその後も高岡商とならび、苦戦しながらもコツコツ勝利を積んでいきます。その苦労が、2013年夏の富山第一ベスト8に繋がりました。

最後に長野ですが、これも1983年あたりは非常に低調です。これを救ってくれたのは、何と言っても上田佳範投手を擁した1991年の松商学園でしょう。春準優勝、夏ベスト8で一気に勝率を引き上げます。その後、また初戦敗退が続き、苦しくなったと思ったら、1994年夏の佐久(現・佐久長聖)のベスト4です。ちなみにこの年は、佐久以外のベスト4は全て九州勢(佐賀商、樟南、柳ヶ浦)でした。その後は松商学園、長野日大が2勝を挙げた年もあるものの、徐々にまた勝率を下げてしまっています。しかし、戦前の長野はめちゃくちゃ強かったんですよ!長野の皆様の名誉のためにここは強調しておきます。

以上となります。次回は東海、できれば近畿もやりたいと思います。今日もご覧いただきまして、ありがとうございました。

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